大河ドラマ「真田丸」「おんな城主 直虎」ゆかりの地

毎年の大河ドラマ制作発表までは、どの時代のどのようなお話が展開され、誰がキャストされるのかなど、大河ドラマファンにとってはとても興味深いことです。
今回は「真田丸」と「おんな城主 直虎」に登場したゆかりの城について、ご紹介していきます。

戦国時代の名将・真田幸村(小諸城)

大河ドラマ「真田丸」では、好奇心と冒険心豊かな真田幸村が、天下取りの徳川家康

でさえ恐れた伝説の武将としての生きざまを描いていました。

ドラマの舞台にもなった真田一族発祥の地とも言われているのが、小諸駅近くにある小諸城址・懐古園です。

小諸城の二の丸は、徳川家康の息子である秀忠が、上田城を攻める際に本陣を構えた場所です。

秀忠はこの上田合戦で苦戦を強いられ敗退の上に、そのため関ヶ原の戦いに遅れてしまう失態をしてしまうという舞台となった城もあります。

小諸城は、そもそも平安時代末期の武将・小室太郎光兼が館を構えたのが城の始まりと言われています。

そして、戦国時代に武田信玄の命を受け、山本勘助や馬場信房らによって築城されたと伝えられています。

小諸城は、現在では当時の天守台に築かれた「野面石積(のづらいしづみ)」の石垣だけしか残っていませんが、城址は「懐古園」と言う名称で、野面石積の石垣、樹齢500年といわれるケヤキの大木など、季節の不在を楽しめる公園となっています。

公園は、三の門」を入口として千曲川の河畔に向かって広がっています。

また、文豪・島崎藤村をはじめ、若山牧水、高濱虚子のゆかりの地でもあることから、園内には記念館や歌碑などを見ることができます。

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■「直虎」を名乗り、戦国時代を生き抜いたおんな城主 直虎

許婚と引き離され悩んだ末に出家し次郎法師と名のりますが、戦乱の世に井伊家断絶の危機に見舞われてしまい、お家存続のために「おんな城主 直虎」として立ちあがりました。

井伊家発祥の地である井伊谷にあった井伊谷城(いいのやじょう)は、井伊谷川と神宮寺川が合流する地点の松林に囲まれた標高115メートルの小高い山に築かれていました。

井伊家の本拠地は、この井伊谷城とその山麓にあった平時に暮らす居館、最終的な詰め城である三岳城があったそうです。

井伊谷城は、現在は城山公園として整備されており、土塁などの遺構が見学できるようになっており、周辺には井伊家の菩堤寺である龍潭寺(りょうたんじ)や大河ドラマ館の他にも、井伊家ゆかりの史跡や名勝があります。

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戦国時代の名将・真田幸村(小諸城)

大河ドラマ「真田丸」では、好奇心と冒険心豊かな真田幸村が、天下取りの徳川家康

でさえ恐れた伝説の武将としての生きざまを描いていました。

ドラマの舞台にもなった真田一族発祥の地とも言われているのが、小諸駅近くにある小諸城址・懐古園です。

小諸城の二の丸は、徳川家康の息子である秀忠が、上田城を攻める際に本陣を構えた場所です。

秀忠はこの上田合戦で苦戦を強いられ敗退の上に、そのため関ヶ原の戦いに遅れてしまう失態をしてしまうという舞台となった城もあります。

小諸城は、そもそも平安時代末期の武将・小室太郎光兼が館を構えたのが城の始まりと言われています。

そして、戦国時代に武田信玄の命を受け、山本勘助や馬場信房らによって築城されたと伝えられています。

小諸城は、現在では当時の天守台に築かれた「野面石積(のづらいしづみ)」の石垣だけしか残っていませんが、城址は「懐古園」と言う名称で、野面石積の石垣、樹齢500年といわれるケヤキの大木など、季節の不在を楽しめる公園となっています。

公園は、三の門」を入口として千曲川の河畔に向かって広がっています。

また、文豪・島崎藤村をはじめ、若山牧水、高濱虚子のゆかりの地でもあることから、園内には記念館や歌碑などを見ることができます。

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■「直虎」を名乗り、戦国時代を生き抜いたおんな城主 直虎

許婚と引き離され悩んだ末に出家し次郎法師と名のりますが、戦乱の世に井伊家断絶の危機に見舞われてしまい、お家存続のために「おんな城主 直虎」として立ちあがりました。

井伊家発祥の地である井伊谷にあった井伊谷城(いいのやじょう)は、井伊谷川と神宮寺川が合流する地点の松林に囲まれた標高115メートルの小高い山に築かれていました。

井伊家の本拠地は、この井伊谷城とその山麓にあった平時に暮らす居館、最終的な詰め城である三岳城があったそうです。

井伊谷城は、現在は城山公園として整備されており、土塁などの遺構が見学できるようになっており、周辺には井伊家の菩堤寺である龍潭寺(りょうたんじ)や大河ドラマ館の他にも、井伊家ゆかりの史跡や名勝があります。

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