日本の城は、その昔2万5000以上あったと言われていますが、江戸時代の「一国一城令」、明治時代の「廃城令」により、多くの城が消滅し現存している城は、およそ200城くらいとなりました。
そして、江戸時代以前からの天守が、きちんと残っている城はそのうちの12城だけとなってしまいました。
今回は、天守が現存している12城のうちの国宝に指定されている城、3城をご紹介していきます。
白漆喰で塗られた美しい白い城壁で有名な「姫路城」
兵庫県姫路市のシンボルの姫路城は、およそ400年という長い歴史を持っています。
天守は国宝に指定されており、1993(平成5)年に日本の城郭として、初の世界遺産に認定されました。
姫路城の歴史は、南北朝時代の貞和2(1346)年、赤松貞範によって姫山に築城されたのが始まりだそうです。
戦国時代までの姫路城は、城郭というより砦のような小規模な造りだったようで、
本格的な城郭の姿になったのは、天文24(1555)年から永禄4(1561)年の間に、黒田重隆・黒田職隆の親子が主君のために新たな姫路城を築城したそうです。
その後、天正5(1577年)年に羽柴秀吉(豊臣秀吉)が、織田信長の命を受けて姫路城に入城した後、壮大な三重の天守を持った大規模な城郭に造り替えていきました。
そして、関ヶ原の合戦の後、8年間かけ現存する城の形までに造り上げたそうです。天守は、五層六階の大天守に三つの小天守が渡櫓(わたりやぐら)でつながった造りの連立式天守となっています。
大天守1棟、小天守を含む7棟が国宝に指定されており、城内の建物74棟も重要文化財に指定されている名城です。
外壁は白漆喰で塗られ、その美しい白さは壮大な城郭を艶やかに魅せています。
大老の井伊家の居城、滋賀県湖東エリアの名城「彦根城」
滋賀県彦根市の中心部にあり彦根城は、標高約50メートルの彦根の丘に建てられた城です。
江戸時代初期の慶長8(1603)年に、彦根藩主の井伊直継の時代に新たな拠点として築城され始め、次の井伊直孝が完成させて同時に城下町を整備しました。
今でも、石畳の路地や伝統的な建物を活かして造られた建物などがあり、その街並みの風景にはいにしえの風情が漂っています。
彦根城の天守は国宝に指定されており、3階建ての3重の屋根で美しい曲線を描いた造りとなっています。
壁、軒裏、破風は漆喰で塗り込められ、城内には城内へ合図を促す太鼓が置かれていた「太鼓門櫓(たいこもんやぐら)」や「天秤櫓(てんびんやぐら)」などの重要文化財があります。
また、近江八景に似せて造園した池泉回遊式庭園「玄宮園(げんきゅうえん)」があり、春には1000本近い桜の花が咲き誇り、秋には紅葉の美しさが広がるなど四季折々様々な風景を楽しませてくれます。
宍道湖を見下ろす丘に築かれている松江城(別名 千鳥城)
宍道湖を見下ろす丘に築かれている松江城は、入母屋破風の屋根が鳥の羽が広がったように見えるので、別名「千鳥城」とも呼ばれています。
築城されたのは、慶長12(1607)年から4年の歳月をかけ完成したそうです。
着手した当主の堀尾吉晴は亡くなり、その孫の忠晴が初代城主として出雲松江藩の城下町の発展に尽力したそうです。
松江の街のシンボルのように建つ松江城の天守は、桃山時代を象徴する4重5層の複合式望楼型の造りとなっており2015年7月に国宝指定となりました。
天守の望楼から眺める景色は、松江の城下町を一望でき、かなたには夕陽の美しさが有名な宍道湖まで見て取れます。
外壁の大部分が、黒くて厚い雨覆(あまおおい)板で囲われており、見るからに頑丈で重厚感のある風格を見せています。
平成13(2001)年に、南櫓、中櫓、太鼓櫓と塀が125年ぶりに復元され、城郭全体の景色が風格ただようように復活しました。
内堀では、遊覧船が周遊しており、堀から見る城の姿もまた格別です。