愛媛県東予地域は、風光明媚の瀬戸内海の島々を結ぶ「瀬戸内しまなみ街道」と結ばれている今治市のほか、西条市、新居浜市、四国中央市があります。
今回は、瀬戸内海を望む東予エリアをご紹介していきます。
瀬戸内海の絶景、来島海峡を望む「来島海峡展望館」
瀬戸内海の来島海峡の潮流は、最高時速10ノット(時速約18km)という荒々しい激流になることがあります。
その潮流の激しさは、航行する巨大な船舶すら進行するのに、潮流に押されてしまうほどです。
今治市にある糸の山公園では、この来島海峡に架かる来島海峡大橋と海域の眺望が楽しめます。
公園は「しまなみ海道」の今治側の拠点となっており、公園内には遊歩道や展望台もあります。
展望台からは、瀬戸内海に浮かぶ数々の島々と来島海峡と来島海峡大橋を眺めることができます。
城づくりの名手が建てた日本三大水城「今治城」
1602年(慶長7年)に建てられた今治城は、城づくりの名手と言われた藤堂高虎によって築城されました。
そのつくりは、瀬戸内に面している地の利を生かした構造となっていて、海水を城堀まで引き入れ、堀を三重にしつらえ港を完備させました。
こうした水城と呼ばれるつくりは、高松城や中津城とともに日本三大水城のひとつとして名を馳せました。
明治維新の城解体により、内堀および城の主郭の石垣以外はほとんど取り壊されていましたが、1980年(昭和55年)に本丸、二ノ丸の部分の復元が行われて現在の状態となっています。
天守閣に値するフロアは、展望台と武具、甲冑、刀剣など2,500点が常設されている展示室になっており、ほかにも4Fでは企画展示、3Fが書画展示、2Fには武具や絵図などが展示されています。
瀬戸内海で活躍した海の王者「村上水軍」
南北朝から戦国時代にわたって活躍した村上水軍は、能島・来島・因島の三家から成り立っていたそうです。
3家は、堅い結束で結ばれており、同族意識が高かったといわれています。
戦の時は、小船を巧みに操り火薬類の武器を使用した戦闘を得意としたそうですが、戦のない時には瀬戸内海の海上運輸や安全確保のために、その役割を果たしていたそうです。
瀬戸内海に浮かぶ「大島」の村上水軍博物館には、甲冑や小袖を実際に着用する体験ルームや能島村上水軍の活躍を記した古文書や復元品が展示されています。
世界的産業遺産の里「マイントピア」
愛媛県新居浜市には、別子鉱山の採鉱本部が大正5年から昭和5年頃まで置かれていたそうで、社宅・小学校・劇場・接待館などが建ちならび、昭和43年に休止するまで炭鉱の町として大変な賑わいをみせていたそうです。
その存在していたエリアであるマイントピア別子東平ゾーン(東洋のマチュピチュ)は、現在、赤レンガ造りの東平索道停車場、貯鉱庫跡、旧保安本部、旧インクラインなどが当時を伝える遺構として保存されています。
瀬戸内海の絶景、来島海峡を望む「来島海峡展望館」
瀬戸内海の来島海峡の潮流は、最高時速10ノット(時速約18km)という荒々しい激流になることがあります。
その潮流の激しさは、航行する巨大な船舶すら進行するのに、潮流に押されてしまうほどです。
今治市にある糸の山公園では、この来島海峡に架かる来島海峡大橋と海域の眺望が楽しめます。
公園は「しまなみ海道」の今治側の拠点となっており、公園内には遊歩道や展望台もあります。
展望台からは、瀬戸内海に浮かぶ数々の島々と来島海峡と来島海峡大橋を眺めることができます。
城づくりの名手が建てた日本三大水城「今治城」
1602年(慶長7年)に建てられた今治城は、城づくりの名手と言われた藤堂高虎によって築城されました。
そのつくりは、瀬戸内に面している地の利を生かした構造となっていて、海水を城堀まで引き入れ、堀を三重にしつらえ港を完備させました。
こうした水城と呼ばれるつくりは、高松城や中津城とともに日本三大水城のひとつとして名を馳せました。
明治維新の城解体により、内堀および城の主郭の石垣以外はほとんど取り壊されていましたが、1980年(昭和55年)に本丸、二ノ丸の部分の復元が行われて現在の状態となっています。
天守閣に値するフロアは、展望台と武具、甲冑、刀剣など2,500点が常設されている展示室になっており、ほかにも4Fでは企画展示、3Fが書画展示、2Fには武具や絵図などが展示されています。
瀬戸内海で活躍した海の王者「村上水軍」
南北朝から戦国時代にわたって活躍した村上水軍は、能島・来島・因島の三家から成り立っていたそうです。
3家は、堅い結束で結ばれており、同族意識が高かったといわれています。
戦の時は、小船を巧みに操り火薬類の武器を使用した戦闘を得意としたそうですが、戦のない時には瀬戸内海の海上運輸や安全確保のために、その役割を果たしていたそうです。
瀬戸内海に浮かぶ「大島」の村上水軍博物館には、甲冑や小袖を実際に着用する体験ルームや能島村上水軍の活躍を記した古文書や復元品が展示されています。
世界的産業遺産の里「マイントピア」
愛媛県新居浜市には、別子鉱山の採鉱本部が大正5年から昭和5年頃まで置かれていたそうで、社宅・小学校・劇場・接待館などが建ちならび、昭和43年に休止するまで炭鉱の町として大変な賑わいをみせていたそうです。
その存在していたエリアであるマイントピア別子東平ゾーン(東洋のマチュピチュ)は、現在、赤レンガ造りの東平索道停車場、貯鉱庫跡、旧保安本部、旧インクラインなどが当時を伝える遺構として保存されています。